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江戸遺跡研究会会報 No.84

2002年3月6日発行
江戸遺跡研究会
www.ao.jpn.org/edo/


参加記

江戸遺跡研究会 第15回大会  『江戸の祈り』に参加して

秋岡 礼子
(財)新宿区生涯学習財団

 みぞれ混じりの寒空の下、1月26(土)・27(日)日の両日にわたり、江戸遺跡研究会第15回大会が中央区立築地社会教育会館で行なわれた。
 今回のテーマである「江戸の祈り」は、一見して地味、あるいは抽象的な印象を与えるため、会場が例年の江戸東京博物館とは異なること、また大会恒例の天候不順も手伝って、出席者数の多寡が心配された。ところがフタを開けてみると、会場に用意された椅子が不足するほどの人数が集まり、地味ながらも潜在的に高い関心を持たれていたテーマであったことが窺われた。
 さて会は、橋口定志氏による基調報告続いて、一日目の26日には4本の口頭発表が行なわれた。
 時枝努氏は、「怪しい」と思われがちな修験道の特質を明らかにすることで、「中世修験から近世修験への移行を解明する」という今後の課題にまで言及された。
 深田芳行氏は、時枝氏の発表と関連するであろう事例として、秩父武甲山山頂における遺跡発掘調査を取り上げられた。
 関口慶久氏は、地鎮・埋納儀礼の出土事例を集成して検討を加え、さらに民間陰陽師の日記を読み解くことを通し、文献史学からの成果をも取り入れた意欲的な発表を行なった。
 有富由紀子氏は、礫石経埋納、特に建物床下埋納型経塚について取り上げ、地鎮・鎮壇に関わった寺院と民衆との現実的な関係について指摘された。
 二日目の27日には、前日に引き続いて4本の口頭発表と記念講演があり、その後に討論が行なわれた。
 高橋典子氏は、民俗学の立場から「マジナイ」を取り上げ、民間信仰のもつ多様性の一面を示された。
 土井義夫氏は、胞衣埋納の発掘事例を集成して関東と関西での様相差を指摘、考古学の立場から通過儀礼を捉えられた。また、「武家故実」に見られる胞衣納めの例と合わせて、その近代化にせまった。
 田中藤司氏は、民俗学・社会人類学の立場から行なってきた墓制・墓標研究の成果を発表し、土井氏とは異なるアプローチで通過儀礼について論じられた。
 吉田正高氏は、文献資料を駆使して屋敷内鎮守と町村内鎮守とを同時に考察し、それにまつわる人々の鎮守に対する認識、またその変容について論じられた。
 記念講演は、植松章八氏による「富士講の成立と展開」であった。個人的な話題で恐縮だが、筆者は富士講および富士塚に関心をもっていることもあり、そのスライドを楽しみにしていた。時間の制約もあり、ゆっくりと拝見することができなかったのが非常に残念であった。
 記念講演の後は、口頭発表者全員をコメンテーターとした討論に入った。討論では、考古学と関連諸分野の研究者が顔を合わせるということもあり、熱い展開も期待された。しかし、発表内容の補足が中心で、穏やかに始まり穏やかに終わったという印象が強かった。お互いに専門外ということで、積極的な意見交換にまで持ち込むのは難しい部分もあるだろうが、もう少し突っ込んだ発言が聞きたかった。
 この時に、発表要旨に掲載された6本の紙上発表のうち、当日会場におられた追川・栩木・船場各氏による要旨説明も行なわれた。いずれの紙上発表も、例年に増して充実した内容であったように感じられた。別の機会に改めて口頭発表していただきたいという希望を持ったのは筆者だけではないだろう。

 最後に、今大会に参加して感じたこと、考えたことをまとめてみたい。
 今回の大会は、考古学のみならず、関係諸分野からのアプローチを従来以上に取り入れることにより、「祈り」に関わる諸要素をより多角的に浮かび上がらせることが出来たように感じられた。今後、このような学際的研究の重要度はますます高まり、それにつれ、自らが関わる機会も発生するであろうが、そのためにはまず、各分野が持つ得手・不得手を相互に認識し、理解し合う必要がある。こうした共通認識を持つことで、自分が持っている情報あるいは自分が欲している情報を互いに明確にすることができ、それにより、より広い範囲を視野に入れた有機的な情報交流も生まれるはずである。
 今大会に参加して、私は沢山のお土産もらったような気持ちになった。それと同時に、締め切りのない宿題を出されたような気持ちも抱え、会場を後にした。
 いつの間にか、外の雨は上がっていた。
 本稿は、筆者の主観と記憶に基づいて書かれている。事実関係などに誤認があれば、それはひとえに筆者の責によるものである。


参加記

江戸遺跡研究会 第15回大会  『江戸の祈り』参加記

井上 雅孝
岩手県滝沢村埋蔵文化財センター

 今回の江戸研究会は「祈り」といった抽象的?(ある意味冒険的)なテーマに果敢に挑んだ意欲的な発表であり、各発表者の報告には知的興奮をおぼえた。このような貴重な報告に対して、論評できるほどの力量はないので、 東北地方の事例を紹介しながら、若干の感想を述べてみたい。

1.里修験

 時枝務・高橋典子両氏の報告で、里修験の多彩な宗教活動について触れており興味深かった。
東北地方では、修験道の身分も、藩の百姓身分の者と、地頭(給人)の家中(陪臣、もしくは給人百姓層)身分のものがあったとされ(註1)、その宗教活動は、岩手県和賀(現、北上市)の修験院である伍大院の文書によると、1.社参仏詣、2.四季守札、3.春祈祷、4.神事祭礼、5.火防、6.地祭、7.後清、8.七五三、9.幣帛、10.釜幣、11.月待日待代参、12.病者加持、13.船加持、橋加持、鳥居加持、14.社風神楽、15.遷宮式、16.諸塔供養、17.福田等と多種多様であり、陰陽道・神道・仏教を総括したような内容になっている(註2)。これは、関口慶久氏の報告にあった民間陰陽師の宗教活動に類似しており、修験者・民間陰陽師が一般庶民の宗教儀礼・年中行事に深く関わっていることが伺える。
ちなみに修験墓地については岩手県北上市岩脇遺跡、金ヶ崎町雛子沢遺跡で、近世から近代にかけての修験山伏累代の墓地が調査されている。特に後者の場合、上部に墓石も現存していたので、下部遺構との同時調査が可能となった稀有な事例である。近世墓標研究に寄与できる資料なのでぜひ参考にしていただければと思っている(註3)。

2.地鎮と埋納遺構

(1)輪宝墨書土器

 関口氏の報告でもふれられているが、若干の補足をさせていただくと、輪宝墨書土器は、主に中世後半(16世紀後半)の城館の地鎮に使用される。その方法は、かわらけ二枚を上・下向きに合わせる二枚一組の合口状態(下が身、上が蓋)で埋納し、身に輪宝墨書土器を用いる。単独で発見される例が多いが、共伴遺物として銭貨を伴う場合があり、枚数には規則性を伺うことができない。
報告で紹介されていた小石川後楽園遺跡文京盲学校地点では、秉燭、壺、漆器椀蓋、煙管雁首など、他に共伴しない遺物が出土しているのが気になった。事例数が少ないので明確なことは言えないが、輪宝墨書土器に日常雑器を組み合わせる儀礼が江戸で成立したのか興味深いところである。
 ちなみに秉燭は、東北地方における近世遺跡の調査事例(城館、生産地遺跡、墓地の調査が多く、城下町等の調査が少ない)の偏りによるかもしれないが、岩手県大槌代官所跡、秋田県旧藩校明徳館跡、秋田県寺内焼、宮城県仙台城二の丸跡、福島県大堀相馬焼など、出土例が少ない(註4)。
 また、かわらけについて言えば、東北地方で多量のかわらけが使用された時代は、奥州藤原氏で有名な12世紀代のみで、出土は都市平泉とその関連遺跡に限定され、それ以降はわずかに城館跡等で確認されているだけである。近世(17世紀以降)では、青森県弘前城、岩手県盛岡城、中尊寺、宮城県仙台城、福島県若松城など城館跡等限定された遺跡でしか出土していない。さらに輪宝墨書土器に使用した事例は、福島県屋敷前遺跡と宮城県高崎遺跡の2遺跡だけである。
 単純に結びつけるわけにはいかないが、地方では一般に使用されることの無い遺物である「かわらけ」、秉燭など都市的な物?を使用する儀礼こそ江戸ならではといった気がするのだが。

(2)首に対する祭祀

 関口、岩下哲典両氏に紹介された丸の内三丁目遺跡ウ地区26号石垣溝(17世紀)より壮年女性の頭骨が発見された事例は特筆すべきだろう。報告者は「人柱」もしくは「外法」による呪術を想定しているが、これに関連し以前、山口博之氏が中世城館の区画堀や溝から人体の頭部が出土する事例と首に対する信仰を検討し、首が境界を守る、守護神的な意味合いを持っており、意図的に埋納した可能性があることを指摘、鍋被り葬もその延長線上にあることをのべている(註5)。多様な解釈が許されるのも、この手の遺構の宿命かもしれないが、こうした理解もありうるのだろう。もし、そうだとすると中世的な祭祀儀礼が大名屋敷に残されているのは面白い。

3.最後に

 都市で発掘する人達は、その成果がその時代の「スタンダード」と多々誤解しがちである。ところが多くの周辺地域は都市とは縁のない生活様式である。特に祭祀に関わる事例は、それぞれの地域における近世以前の宗教と土着的伝統に起因する場合が多い。「江戸」の場合、それに新興的な儀礼が付加し、独自の発展を遂げている感がある。
私自身、地方で調査しているものにとって、今回の発表は「祈り」といった視点から新興都市「江戸」の特異性をあぶり出したのではないかとの感想を得た。
最後にあえて指摘するとすれば、個別の発表が優れていたにもかかわらず、内容が盛り沢山のせいか全体の討論?がまとまらなかったのは残念である。各報告のテーマがそれだけで大会テーマに成り得る要素をもっているので、今後、各発表の論点を再度整理して、論議していけばと願う次第である。ともかく、今回の発表が果たした役割は大変大きい。今後の研究の進展に期待したい。


(1) 佐藤 功 2001 『旧修験宝珠院(旧千葉家)道場復元修理報告書』北上市教育委員会
(2) 大矢邦宣 1988 『和賀の修験(2) 岩崎深山権現別當 伍大院田村家と岩崎二前神社』和賀町教育委員会
(3) (財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 1996 『岩脇遺跡発掘調査報告書』第235集、金ヶ崎町教育委員会 1990 『雛子沢遺跡』第19集、
 千葉周秋ほか 1992 『企画展図録魂の家ー発掘された近世の墓』金ヶ崎町中央生涯教育センター
(4) 鎌田清造 2000 「大槌代官所跡出土の近世灯明具について」『館研究』第2号
(5) 山口博之 1999 「首が獲る城」 『帝京大学山梨文化財研究所研究報告』第9集


参加記

江戸遺跡研究会 第15回大会  『江戸の祈り』に参加して

福岡 直子
豊島区立郷土資料館

民俗学ではわからないこと

 博物館・資料館で仕事をする者にとって、地域史の研究は欠かせない。その研究の手段としてはさまざまな方法があり、決してひとつの方法だけで地域の歴史像が明らかになるわけではない。地域史を民俗学的立場からみていこうとする筆者にとって、本大会のテーマ設定のあり方とそれに応じた各報告者の発表には、あらためて考えさせられることがあった。ではここで、若干の感想を述べさせていただくこととしたい。
 主に聞き取りと参与観察という手段で人の生活史を理解することの積み重ねをしてきた民俗学では、常に次のことが問題とされている。それは、どの時代の生活史の復元まで可能かということである。その場合、個々の民俗事象によって異なるものと考えるが、どの場合にもその限界はある。
 また、次の事例においても、時間軸上の理由ではなくても事実の把握に制約が課せられることがある。今大会の発表例にもいくつかみられた、土地に記された祭祀儀礼の痕跡を示すものについて、それをどのように理解するかということについてである。これまでの民俗学では、報告事例としては少ないもので、それには相当の理由があった。まず、調査者自身の関心が及んでないことがあげられる。次に、祭祀儀礼の場合にはよくあることだが、特定の人が特定の時間帯に他人に見られることなく執り行う行為であるという性格によるものという理由もあげられよう。したがって後者の場合には、そのような環境や条件のなかで実施されるというそのこと自体に重点を置いた調査者の分析報告が主となり、祭祀儀礼の執行者は、その行為やそのときに使用した道具等一切を口外してはならないとされるような決め事もあって、その実態が明らかにされることは稀である。
 その点、発掘調査では視覚的に理解が可能になる状況が開ける。しかし、その行為は過ぎ去ったことで、現在からの推測によってそのときの行為の意味を推察するということになる。このような事例への理解に関して、両学問は、互いの学問的特性からどのような接近方法ができるであろうか。本大会を通して、その明かりが少し見えたように思われる。

“江戸の祈り・2”の開催に向けて

 人の話しや行為を分析してきた民俗学とは対象的に、物言わぬ遺物・遺跡を調査対象とする考古学から、“祈り”という人の精神的世界をどのように構築しようとしているか、これからも関心を寄せつづけていきたい。
 各発表内容は、当初の期待を裏切ることなく実施され、刺激的であった。また、ひとりの発表時間に余裕があった点は、とかく所要時間が少ない諸学会のそれに比べてたいへん意義深く思われ、率直なところ、このような運営のあり方については見習うべきことであると感じた。
 筆者には、個々の発表内容について言及する紙面も器量もないので全体的な感想を述べるにすぎないが、今回の発表内容を振り返ると、考古学から5人・文献史学から2人・民俗学から2人の方の発表があり、さらに7人の誌上発表者が加わったという充実したものだった。開催の事前周知が早い時期にあれば、隣接する分野の研究者の参加がもっと得られたであろう。惜しまれる。
 このような隣接分野の発表者を積極的に交えた企画は、今後、さらに求められるものとなろう。確かな地域史像を知るためには異なる分野間の共通語が必要であり、共有する知識を少しでも多く持つことも必要になる。今回の発表者のなかに建築学の分野の方の発表もあればなどと、欲張りなことも大会中に思い浮かんだ。
 “祈り”の諸相について、豊かで行き届いた構成の大会は、門外漢の筆者にとっては、考古学を身近なものとしてとらえることができた機会でもあった。次回の大会では、本発表のなかの何点かを抽出してテーマとし、そして関連分野が少しでも議論に歩み寄れるような形にして開催できるのではないかと思われる。そのような機会の設定について、地域史の豊かな材料の発掘とその理解のためのリーダーとしての貴会に、期待するのは決して筆者ひとりではないはずである。


関連イベント

特別展「こだわりの湯のみ茶碗」のご案内
 会期:平成14年4月27日(土)〜6月2日(日)
 会場:入間市博物館
展示内容:縄文土器から江戸時代に至る飲用器の様々
江戸時代の湯のみ茶碗
湯のみ茶碗の登場する浮世絵
各界著名人ゆかりの湯のみ茶碗 他
関連イベント:湯のみ茶碗の絵付けにチャレンジ!     5月5日、6日
だれも持っていない湯のみ茶碗をつくろう! 5月3日、4日
笑いのなかの湯のみ茶碗 アリット落語会  5月26日
※いずれも要申し込み
お問い合わせ:入間市博物館 工藤 宏、梅津あづさ
〒358-0015 埼玉県入間市二本木100
tel. 042-934-7711 fax.042-934-7716


●お詫びと訂正
 江戸遺跡研究会第15回大会「江戸の祈り」発表要旨のなかに誤りがございました。以下のように訂正するとともに深くお詫び申し上げます。
訂正箇所 
表紙および中表紙会場 江戸東京博物館会場 中央区立築地社会教育会館
101頁日本女子大学東京女子大学
目次、283頁江戸の六銅銭について江戸の六道銭について     


第84回例会のご案内

日 時:2002年3月20日(水)18:30〜
発 表:大平 茂夫 氏
     「民家調査の現状」
会 場:江戸東京博物館 学習室
交 通:JR総武線両国駅西口改札 徒歩3分
問合せ:江戸東京博物館
     03-3626-9916(小林)
    東京大学埋蔵文化財調査室
     03-5452-5103 (寺島・堀内・成瀬)
    江戸遺跡研究会公式サイト
     http://www.ao.jpn.org/edo/


【編集後記】第84号をお届けします。今回の会報には1月26、27日の両日に行われた第15回大会「江戸の祈り」の参加記を、秋岡礼子、井上雅孝、福岡直子の各氏からいただきました。ありがとうございます。


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